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Home Andy Gibb アンディ・ギブが語る「ビージーズとぼく」(Juke誌1978年)

アンディ・ギブが語る「ビージーズとぼく」(Juke誌1978年)

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アンディ・ギブ(1978年)
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ギブ4兄弟の末っ子アンディ・ギブは1958年3月5日に生れ、30歳の誕生日からわずか5日後の1988年3月10日に惜しまれながら世を去りました。本当に早過ぎる死でした。

そんなわけで、この3月にはできるだけアンディの記事を取り上げたいと思っています。第一弾として、オーストラリアの音楽紙Jukeの1978年6月号に掲載された記事をご紹介します。この号、なんと表紙がアンディで裏表紙がビージーズ! 当時、アンディは「すでにナンバーワンヒットを2曲飛ばし、新曲もまたトップに上り詰めようという勢いで、アルバム『Flowing Rivers』もプラチナセールスを記録しようかというところでした。

 

ビージーズの弟」というレッテルには抵抗がありますか?
 

「前はいやでした。実際にコンサートとかでそういう書き方をされたことがあるんです。でも結局、あっちは世界的な有名グループでぼくは無名ですから、それもしかたないかなと。でもぼく自身のレコードも売れるようになったので、いずれこの傾向もなくなると思ってます。
  声や歌い方も似ているとよく言われます。そりゃあ、ほんとの兄弟ですからね、似ています。書く曲も似ています。いっぱい影響も受けているし。
     でもビージーズのスタイルに似ないように意識してました。この次のアルバムでそれがもっとはっきりするはずです。もっとR&Bやラテン色を出すつもり」

とはいえコネも大切。ビージーズやRSOレコードグループの一員であることで、思った以上に成功できたのは確かだし、アンディはその点しっかり現実をわきまえている。

「あるものは利用した方がいいですよね。兄たちが大きな力になってくれたのは間違いない。とにかくまずひとかどの存在にならないと。その上で初めて自分がしたいことをすればいい」
     曲作りでもいろいろと力になってもらっています。書いた曲を聴かせると、どこがいいと言ってくれて、そこを伸ばすようにアドバイスしてくれるんです」

 

アンディは13歳で学校をドロップアウトし(「大嫌いで、時間の無駄だと思っていました」)、17歳でオーストラリアにやって来た。きびしい修行を積みたいならオーストラリアの音楽シーンで苦労してみるのが一番だ、と兄たちに言われたのだ。一枚だけ出したシングル「Words and Music」は鳴かず飛ばず。1975年にはベイシティローラーズの全豪ツアーで前座を、シドニー・ホーダーン・パヴィリオンではスイートのオープニングを務めた。1976年になってマイアミのバリーから電話がかかって来た。「アメリカに来てレコーディングしてごらんよ」。ほどなく、ビージーズのマネージャーでRSOレコードのボスであるロバート・スティグウッドからも電話が来た。アンディのテープを聴いた、契約したい、という。ちょうどスティグウッドの自宅があるバーミューダで新婚旅行の最中だったアンディは、急遽日程を中断してマイアミにあるクライテリア・スタジオに向かい、 ビージーズのアルバムで仕事をしたプロデューサーのアルビー・ガルテンとカール・リチャードソンと一緒にレコーディングを開始した。バリーがレコーディングの監督役を果たし、全般的なアドバイザーとなった。
    アンディはオーストラリア時代にすでに『Flowing Rivers』 中の曲を2度レコーディング済みだったが、結果を出すことはできず、アルバムは陽の目を見ずにきていた。 

「今回も結局がっかりして終わるだけじゃないか、という気持ちがありました」

 実際にはこの3回目の試みは非常にカントリー色の濃いものになった。当時同じスタジオで『ホテル・カリフォルニア』をレコーディング中だったイーグルズのジョー・ウォルシュが顔を出し、中の2―3曲でプレイしたほか、エリック・クラプトン・バンドのギタリスト、ジョージ・テリーも客演している。

「”I Just Want to Be Your Everything”が一位になったのはびっくり仰天でした、ほんと。とにかくあのアルバムのことは心配で、心配で…。曲がイマイチじゃないかとかね。自分ではソングライターとしてぜんぜん自信がなかったから。

     次に書いた何曲かについてはもっと自信があります。兄たちも、すごい、すごいって言ってくれてるし」

 成功には悲しみにもつきものだ。妻とは破局した。今では家を出ると、家の前の芝生に少女たちが陣取っている。コンサートで体験する悲鳴のようなヒステリー状態には恐ろしくなることもある。
アンディはマイアミで船着き場のある海に面した家を借りて住んでおり、くつろぎたいときには20フィートの船で釣りに出かける。

 今年住み替えるまでレンタルしていた大きな屋形船には、ラウンジにグランドピアノが置かれ、寝室の天井は船内で射殺された前のテナントが取り付けた鏡で覆われていた。バリーは家族と一緒にすぐ近くに邸宅を構え、モーリスは2軒隣りに住んでいる。ロビンだけは高額の税金を払ってイギリス住まいだ。

アメリカでビッグネームになるにはあと2年かかるだろう、とアンディは語る。それまで待てる、と。

ぼくがしたいのはこれだけだし、ぼくにできるのもこれだけなんです。それだけのものが自分にあるかどうかは別にして、これがいまのぼくです」

Juke誌1978年6月10日号より)

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Words

歌はいつもぼくと共にあると思う。

バリー・ギブ