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【ザ・サン紙】バリー・ギブ、ロングインタビュー:「僕が一番先に死ぬべきだった」

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大衆紙ザ・サン(2016年9月30日)に掲載されたバリーのロングインタビュー

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バリーの英国キャンペーンが始まり、テレビ・ラジオ出演やインタビュー記事がどどっと出ています。今日はとりいそぎ、ザ・サン紙(オンライン版2016年9月30日付)に掲載されたロング・インタビューをご紹介します。

 

伝説のシンガーソングライタ-、バリー・ギブ、32年ぶりのソロアルバムを引っ下げて音楽シーンに復帰


「やる気いっぱいです。ぜひ活動を開始する必要がありました。僕にとっては、曲を書いて演奏することがずっと必要でした。
8歳のころから曲を書いてきて、当時の曲はひどいものでしたが、だんだん進歩したと思います」
これはかなり謙虚な発言と言っていい。世間一般にバリーは史上最高のソングライターのひとりと認識されているのだ。
過去13年、バリーは弟たちの死に苦しんできた。

「実際に引退したわけではありません。引退を口にして、もう終わりだと思い続けてはいましたが。

モー(モーリス)が亡くなった時、もう終わりだと思いました。僕はモーリスなしでやり続ける気持ちにはならなかったけれど、ロビンはビージーズとしてやり続けたい、もっと音楽をやりたいという強い気持ちを持っていた。でも僕はまだ悲しみにくれていた。
5年しか続かないグループもあるけれど、僕たちは45年間もチャートの常連だったんだから、そんなにあせらなくても大丈夫、少しは人生を楽しもう、とロビンに言っていたんですが、ロビンが病気だというのを知らなかったんです」 ロビンは大腸がんと闘い、肝臓への転移を経て、2012年に62歳で他界している。
モーリスを亡くし、アンディを亡くし、バリーがソロとしての活動に不安を覚えなくなったのは2014年のツアー以降のことに過ぎない。
現在70歳になったバリー・ギブは、弟たちなしでアーティストとしてやっていくことに常に不安を感じており、2014年にツアーに出て初めてその音楽がどれほどファンに愛されているのかを知ったのだという。
「世界中で20回ほどコンサートをしましたが、どうなるのかまったく予想がついていませんでした。ビージーズではなく、僕ひとりでしたから。家族と弟たちのためのツアーだったのです。
オーストラリアにいた若い時代から、ずっと信じられないほどファンがついてきてくれていましたが、単独のアーティストとしても大丈夫だと、もう一度みんなに納得してもらう必要があると感じていました。『とにかく聴いてみてくれ、ひょっとしたら気に入るかもしれないよ』という感じでした」

パフォーマーとしてのバリーは6月のグラストンベリー出演でも証明された。コールドプレイのクリス・マーティンはバリーをステージに呼んで1977年のディスコ・ヒット「ステイン・アライヴ」を「史上最高の曲」と紹介した。

「とにかくほんとに緊張しました。でもみんなとてもよくしてくれた。クリスは親切だったし、楽屋裏のあれこれでも緊張がほぐれました。子どもたちがサッカーをしていたりして、グウィネス・パルトローもいたし、ノエル・ギャラガーにも会えたし」

『イン・ザ・ナウ』はバリーの人生の新しい章に属するアルバムだが、これも家族と組んでの仕事だ。今回は二人の息子スティーヴンとアシュリーが共作者なのである。
息子たちと仕事するのは弟のモーリスとロビンと仕事をするのにも似ています。みんなそれぞれにかなり違うタイプの人間ではありますが。
スティーヴンはヘヴィメタ系で、気は優しくて力持ちタイプ。アシュリーはとても分析的で、全体の流れや歌詞に非常に気をつかってくれる。その点ではアシュリーは僕に似て、ちょっとピリピリしています。
けれども二人とも素晴らしい、愛する息子たちです。娘のアリは出版やライセンシング関係に取り組んでくれています。
最終的に、ビージーズの音楽がきちんと管理されて、ちゃんと評価される形で出てほしい、僕はそんな場所を求めています」

バリーと妻のリンダ(元ミス・エジンバラ)には5人の子どもと7人の孫がいる。
「トップ・オブ・ザ・ポップス」の収録中に出会ったふたりは、現在、結婚46年だ。
母親と妻の強さに支えられて、バリーはつらい時代を乗り越えてきた。
アルバム中の曲「ザ・ロング・グッバイ」は弟たちに捧げられている

アルバムができたのは妻リンダの励ましのおかげだった。「(文字通り)ごろごろしてちゃダメだ、と言われたんです。アルバム中の『星空の恋人達』は妻のための曲です。

そういう気持ちを歌ったキャロル・ソングのポップ・ソングみたいなものが書きたかった。恋をするとはどんなものか、書いてみたかったんです」

アルバム『イン・ザ・ナウ』の収録曲には思いが込もったものが多いが、中でも「ザ・ロング・グッバイ」は「弟たちを亡くした体験から生まれた」という。「ラヴソングとぃうわけではないのですが、結果的にはそうなったと思います。僕たちはお互いと関わって長い時間を過ごしました。良くも悪くも、関わってきた」

「この何年か、まずアンディを、続いてモーとロビンを亡くして、僕にとっては長い道のりでした。一番年上なので、僕が先に行くべきだった。今ここにこうしていても、なぜなんだ、という思いがあります。ただ、今では前よりは受け入れられるようにはなってきました」

バリーも認める通り、特にロビンとの関係は難しく、「虹のおわりに」という悲しい曲はロビンに捧げられている。

「子どもだった時のことは決して忘れません。90歳になっても心の中では子ども時代のような気持ちを失っていないと思うし、ロビンにもいつもそう言っていました。今起きていることが大切なんだよ、今を大切にしなくちゃ、って」
見るからに繊細そうなバリーは、闘病中の母親に会うためにマイアミに帰るところだと話してくれた。95歳の母親バーバラは最近発作を起こしたばかりだという。
「今は連絡待ちの状態です。事態は楽観を許さず、現状がよくわかりません。
母とは電話で話しますが、何を言っているのかよくわからない。でも母には深く感謝しています。とても強い人で、好きなことを仕事にしなさい、と僕たちを励ましてくれました。とても長命で、『イン・ザ・ナウ』というアルバムタイトルにはそんな意味もこめられています。生きるために生きなくてはならない、明日はどうなるかを思い煩ってはならない、という意味です
僕たちは過去に生きている。思い出を、素晴らしいあの瞬間この瞬間を、胸に抱いて。けれども現在のことも考えなくてはならない。
僕はいつも喜びを求めている。粗探しはしません。人を嫌うこともないし、そういうことにはもう関わらないようにしています」
残念ながらこの取材の数週間後、バリーの母親はマイアミの自宅で逝去された。
けれども母親の強さがバリーを励まし続けた事実は変わらない。
バリーは、こんな風に話してくれた。「アンディの死は特にきびしいものでしたが、母は息子3人を亡くしたばかりではない。僕は子どもの時に何度も事故に遭いました。車に轢かれたことが2回。2歳の時には大やけどをして、母の話ではそれから2年間、口がきけなかったそうです。ですから音楽や曲作りは自分の気持ちからの逃避としての意味もありました。僕には友だちもいなかった」

アルバム『イン・ザ・ナウ』はバリーにとって時間を受け入れるということでもあり、手放すということでもあるという。

「うぬぼれる気持をなくすということです。僕たちはそれぞれにうぬぼれていたと思う」 そう言ってバリーは、名高い白い歯を見せて笑った。「おかげで前よりは良い人間になれたと思います。自分のまわりの出来事を前よりはよく理解できるようになりました。

ネガティブなことは認めないようにしています。仕事中に問題が入り込む隙を作ると自分にとって大きなストレスになるからです」

バリーの居間には家族写真の他にマイケル・ジャクソンやジャック・ニコルソンなど著名な友人の写真もたくさん飾られている。ビージーズは、40,000万枚を売り上げた『サタデー・ナイト・フィーバー』発表後、70年代を代表するバンドだった。

けれどもレコードは売れたものの、批判にもさらされ、その事実がバリーを苦しめた。

「冗談にされて傷つきました。インタビューも悪いことばかりが中心で、良い話が主だったことがない。“クライヴ・アンダーソン”で席を立ったのもそのせいです」 ここでバリーが言及しているのは1996年のテレビショーでの名高い決裂のことである。「あてこすりの連発で、クライヴ・アンダーソンのファンだっただけに、とても悲しくなってしまって、限界に達したんです」

「でも成功の後に失敗が来るというのは、実際問題としては健康だと思う。常に成功していると危険です」
「成功は実際に死を招く。エルヴィスの場合のようにドラッグによる死もあれば、ビートルズのように共同作業が成り立たなくなってプロとして終わってしまうこともある。マイケル・ジャクソンとはとても親しかったので、彼がだんだんとダメになって行くのを見ていました。
マイケルは業界と対処できなかった。それは僕の望まなかったことです。エイミー・ワインハウスの場合も、あまりにも急激に事態が進んだ。
今では僕も、長い目で見てどうか、ということがわかるようになりました。人は変わる、ということです。業界も変わるし、人も変わる。流行る時があれば、すたれる時が来る
その中で変わらないもののひとつは、バリーの特徴的なファルセットだ。
どうやってコンディションを整えているのだろう? 「何か大きなイベントがある時には、自信が持てるまで、毎日少しずつウォーミングアップをします。
心配なので、寝室に大きなスピーカー2台とエコー付きのミキシング装置とマイクをそろえています。灯りを消して小さなスポットひとつにして、どっぷりと入り込める状態を作って…そうやって下準備します」
今後について、バリーはアルバムに合わせたツアーも考えている。「もし運よくリック・アストリーやジェフ・リンみたいになれたら、ツアーをしたいです。これまで組んだ中でも最高のバンドにも恵まれています。全員が、くまなく気が行き届いたタイプです。
またこんな機会が得られるなんて素晴らしい。誰もがすごく前向きで、僕は一瞬一瞬を充実させたいと思っています。このアルバムを作ったことでそれができるようになりました」

ここで話題になっている「クライヴ・アンダーソン」はビージーズが 3人そろって登場したイギリスのトークショーで、YouTubeにもアップされています。辛口のジョークを売り物にするホストとビージーズのトークは最初からかみ合わず、途中でバリーが席を立つと、ロビンとモーリスも続きました。グループ内の力学や3人の人となりも垣間見えて、彼らが歩んだ道の特殊さと辛さに胸を突かれます。そういう意味では貴重な歴史の証言といえる番組ではあります。
また、今後の活動については、バリーは最近のインタビューではツアーの予定について具体的に語っていますので、近くご紹介します。



 

 

Words

一番うれしかったのは、また一緒にやるようになって、ピアノのまわりでみんなで「ロンリー・デイ」を書いたときかな。

モーリス・ギブ