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バリー・ギブ『イン・ザ・ナウ』ロング・インタビューbyティム・ロクスボロ Part 6

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「人生のパートナーであるとともに最大の批評家でもある」という
リンダ夫人に捧げられた「星空の恋人達」

連載ロング・インタビュー、シリーズ第6回は、(いっぱいある)ビージーズの知られざる名曲や、リンダ夫人との楽しいやり取りなどが話題になります。

ティム・ロクスボロのバリー・ギブ『イン・ザ・ナウ』インタビュー【パート6】

 

パート6
「そんなことを言われると、その辺の曲もコンサート・セットに入れたくなるなあ」


昨夜、僕は、1999年3月20日にニュージーランド、オークランドのウェスタン・スプリングズ・スタジアムでバリー、ロビン、モーリスが記録破りのコンサートのしたくをしていたであろう場所に座っていた。* バリー・ギブの新しいソロ・アルバム『イン・ザ・ナウ』の発売を記念して、ソニー/コロンビアのチームが当時のバックステージ・エリアを再現したのだ。ビー・ジーズがここで公演した時、そして今でもこの名スタジアムで公演する大スターが公演する時の様子がそのまま再現されていた。あの夜のセット・リストから始まって小道具までそろっており、楽屋のテーブルにはペンダントがちょっと置いてあったりする。座ってアルバムを聴けるような場所も準備されていた。【*原注:7万人の観衆を集めたこの時のコンサートはいまだにニュージーランド史上最大の売り上げをあげたコンサートである。1983年にデイヴィッド・ボウイが同じ会場で8万人を集めたが、この1999年3月20日のビー・ジーズのコンサートが売り上げではナンバーワンなのだ。】

初めて聴いたときに一番印象的だったのが長さ6分の「クロス・トゥ・ベアー」だ。バリーが世界の状態について、宗教が持つプラス、マイナス、神秘的でもある影響力について思いを巡らせるなか、美しい光と陰が織りなされ、フックもしっかりとある。CDが届いたら一番にこの曲から聴こうと思っている。【訳注:このインタビュー・シリーズ原文は10月のアルバム発売に先立ってロクスボロ・レポートに連載されました】

このほか、息子のスティーヴンとアシュリーとの共作活動については、ビルボード誌に掲載されたインタビューの一読をおすすめする。『イン・ザ・ナウ』が父と子の共作であることについて、しっかりと論じられている。もうひとつおすすめしたいのが、マイアミ・ヘラルド紙に掲載されたハワード・コーエンのバリー・ギブについての記事だ。長年のビー・ジーズ・ファンであるコーエンは、ギブ兄弟の作品は『サタデー・ナイト・フィーバー』だけではないとしっかり認識しているという点でアメリカ最高の音楽ジャーナリストのひとりである。

さてこのパート6では、ビー・ジーズ後期にロビンがヒットを出したがっていたこと、ビー・ジーズが正当な再評価を求めてどんなに戦わなくてはならなかったか、70年代の知られざる佳曲、職業人として、人間として、夫バリー・ギブにリンダ・ギブ夫人が及ぼしている影響について、等々を話題にしたい。バリーがリンダのために書いたアルバム『イン・ザ・ナウ』中の曲「星空の恋人達」のリンクを貼っておく。
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TR: いま現在、夢は実現したというのが実感ですか?

バリー: 最終的にはそう思ってる。はじめのころを振り返っても夢は実現したと思う。知っての通り、いろいろひどい目にもあったし、ロビンは最後までもう一度ヒットを出したいと切望していたけれど、僕はいつもロビンに言っていたんだよ、「ロブ、思い出を楽しもうよ。夢はかなったんだ。もう一度夢を、って思う必要はないよ。もういいんだ。あとは好きな音楽をやり続けて、チャートのことなんか気にしなくていいんだ」って。
チャートはめまぐるしく変わっている。もうアメリカではどのチャートに入ればいいんだか、わからないぐらいだ。


TR: たくさんありますものね。

バリー: ビルボードとかレコード・ワールドとかキャッシュ・ボックスとかいってた時代がなつかしいよね。

TR: ロビンはずうっともう一度ヒットを出したがっていた、とおっしゃっていましたが、実はビー・ジーズは後期にもヒットを出していますよね。「誰がために鐘は鳴る」(1993年)はイギリスでトップ5入りし、南アメリカではナンバーワンでした。

バリー: そうなんだよね。でもロビンの気持ちもわかるんだ。実際、僕たち全員がそういう気持ちではあった。みんな、もう一回ヒットを出したかった。この気持ちはなくならないんだよ。やっぱりそうしたい。でもヒットが出せないとしても、無理だとしても…僕たち、ラジオでぜんぜんかけてもらえなかった時期があるんだよ、ティム。僕が40代半ばぐらいだったころだな、まったく! だから、いま長い目で振り返ってみると、別にいいんだ。これでいいんだ。
今は人が僕に近づいて来て嬉しい言葉を言ってくれたりする。まったく評価してもらえなかった時代があったけど、その点はすっかり変わった。なぜかはわからないけど、嬉しいと思っているんだ。


TR: 僕も嬉しいです。モーリスが亡くなったときに、僕みたいな大ファンにとってわずかな慰めになったのは、ビー・ジーズがまた尊敬されるようになっていた、と思えたことです。モーリスが亡くなる少し前に『スティル・ウォーターズ』アルバムが大好評で、『ワン・ナイト・オンリー』も大好評だったじゃないですか。『ディス・イズ・ホエア・アイ・ケイム・イン』も成功し、次に出した『ザ・レコード』もニュージーランドでプラチナの8倍も売れて、その段階でモーリスが亡くなった。ですから少なくともモーリスはビー・ジーズが大勢の人に愛されている、尊敬されている! そう知って亡くなったと思います。

バリー: うん。僕たち、いつもお互いにそう言いあってたんだ。ほら、「こんなひどいことを言われてるけど、気にしなくていいよ。あとで良くなるから」って。長い間には何度も何度も悪い時代を経験してるからさ、きっと良くなるっていつも思ってた。1972年は悪い時代だった。74年にはほとんど過去の人扱いだったけど、それからアリフ・マーディンと一緒に『メイン・コース』を作って、またワッと来た。だから次にどうなるかなんて絶対に予測できないんだよ。じっと頭を垂れてやり過ごすしかない。それからフィーバーだもんね、まったくさ! ほんとにショックだったよ! あれでダメかと思った。

TR: 2009年にロンドンでインタビューをしたときに、「希望の夜明け」や「ひとりぼっちの夏」(「マイ・ワールド」や「イン・ザ・モーニング」は言うまでもなく)みたいな70年代初期の曲が実はアジアでナンバーワン・ヒットだったとお話ししましたよね。

バリー: そうなの? ええっ!

TR: これは先日知ったばかりなんですけど、「エリーサ」はブラジルのリオでトップ10に入ったんですよ。三人全員がリードをとっている(70年代初期の)美しい曲ですよね。

バリー: そんな話を聞いてると、そういう曲もコンサートのセット・リストに入れちゃおうかな、なんて思ってきちゃうね

TR: けっこう、けっこう!(笑)

バリー: できるかも。これまでは思ってもみなかったけどね(笑)。


TR: ここでリンダ夫人について少し聞かせてください。前回お話ししたときに、「リンダに蹴っ飛ばされた!」とおっしゃってましたね(笑)。

バリー: 違うよ(笑)。リンダに「しっかりしなさい!」と叱り飛ばされたんだよ(笑)。

TR: はいはい、そうでした(笑)。まあ、そのどっちかですね。

バリー: うん、そうね、たぶん両方かな!(笑)

TR:で、現在、職業人としてのあなたの人生におけるリンダ夫の影響は?

バリー: 何から何まで。彼女は妻というだけでなく、人生のパートナーであり、僕の最大の批評家でもある。だから僕が創作に関して道を踏み外すと、彼女が通りすがりに「ちょっと、そんなんじゃダメじゃない」って言うんだよ(笑)。

TR: で、あなたの方は、「リンダ! 何言ってるんだよ! これ、けっこういいじゃないか。しっかりしてくれよ」と言ったりはしないんですか?

バリー:言わないよ~!(笑)マズいことになるから(笑)。バーが上がるもん。自分の方からバーを上げるようなまねはしない(笑)。

 

TR: なるほど。それが賢いのかもしれませんね。

 

バリー:いや、ほんと、「そうだね、おまえ」って言っておくのが一番だよ。

 

TR:で、リンダ夫人の意見はだいたいは正しいんですか?

 

バリー:もーちろん。ほら、僕が2~3杯ひっかけて、ギターをポロポロやってるとするじゃない? するとリンダが通りすがりに(笑)「そんなんじゃダメ!」って言うの。僕、それが好きなんだよ。彼女、コーチみたいなものなんだ。ライヴとかヒット・ファクトリーでやったストリーミングとか、あ、これはほんとにいい、っていうときには、リンダが真っ先に言ってくれる。ほんとにうまくいってればすぐに言ってくれるんだよ。他の誰に言われる必要もない。逆に何かがまずいと、口に出さずにそれをうまく伝えてくれるのがリンダなんだ。いつもそこにいてくれる。

 

TR: ショー・ビジネスの世界でも指折りといわれるほど結婚生活が長持ちしている理由は何でしょう?

 

バリー: うん、まず、一番はっきりしているのは愛情があること。いつも愛情があること。さらには、共通点があること、いい友だちであること、何についても同じユーモアのセンスを共有していること。理由はたくさんあると思うよ、ティム、ひとつじゃない。一生をともに過ごしたいと思うパートナーに出会ったら、複数の要素がからみあって現実になる。それに、僕、かなり変わらないというか、一筋というか…なんていうのかな(笑)。

TR: 最近の写真で素敵だなあと思ったのが、おふたりが手をつないで海辺を歩いているやつなんですよね。かわいかった!

 

バリー: うん、僕たち、それなんだ! それに、僕たち、まわりのことはあまり気にしないんだ。やらなければならないことは、やる。リンダと40年来の仕事仲間のディック・アシュビーも一緒に、僕たちはものすごくプロフェッショナルなチームだ。やることはやって、しかもきっちりとやる。

バリーはEPKのビデオ・インタビューでも、素晴らしい家族に恵まれたことで苦しい時を乗り越えることができた、と語っていますが、リンダ夫人についてのやりとりは本当にほほえましく、バリーを取り巻く暖かい環境が感じられます。「もう1曲ヒットを出すため」ではなく、本当に好きな音楽を追求して、実り多い時間を過ごしてほしいですね。

それにしても贅沢な話とはいえ、ヒットが”多すぎる”きらいがあるビージーズは、コンサートも「ベスト・ヒット集」のようになりがちでしたが、バリーはソロ・コンサート(ミソロジー・ツアー)で「キルバーン・タワーズ」「瞳に太陽を」「ライオン・ハーテッド・マン」「プレイダウン」など、初期の「おおお~っ!(こんなのやるの~??)」というような曲を取り上げました。ここで話題になっている曲もすごい。

バリーは「ロビンの思い出に敬意を表して、ロビンがリードの曲は歌わない」と発言していますが、ロビンの声なしには「誰がために鐘は鳴る」はやはり無理でしょうか。ミソロジー・ツアーの「獄中の手紙」ではスティーヴン・ギブがロビンのソロ・パートを担当し、オーストラリアの新聞で「死刑囚のパートがはまっている」と書かれたのがほほえましかった(のか?)ですが、「誰が…」の高音部は無理でしょうか??

1973年に「ひとりぼっちの夏」のB面として「エリーサ」が発表されたときに、女性ファンが「この曲をコンサートでやったら失神者が出ると思う」という感想を述べていましたが、さて? 今後のセット・リストが大注目です。

冒頭で挙がっているビルボードのインタビューとマイアミ・ヘラルド紙の記事はいずれもとても内容が濃いので、近く当サイトで内容をご紹介したいと思っています。


 

Words

アイディアがつきることはないと思う。世の中にはこんなにいろんなことが起きているんだから、ネタがつきるはずがないよ。

バリー・ギブ(1967年)