Bee Gees Days

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【1972年3月ーコンサート・レビュー】「恋を運んできてくれたビージーズ!」(雑誌ノンノ1972年5月号から)

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武道館公演(1972年3月24日)での
ビー・ジーズ(雑誌non-noより)

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早い桜とともに三月が走り過ぎていきました。三月中のアップには間に合いませんでしたが、46年前(!)、1972年3月に行われたビー・ジーズの初来日公演のレビュー記事をご紹介します

これが珍しい! 武道館公演(1972年3月24日)のレビューなんです。当時の記事がほとんど初日(3月23日)の渋谷公会堂公演に集中したことを考えると、これはかなり貴重。しかし写真が小さかったのは残念。ステージ右側から撮影したのでしょう。ロビンもモーリスも(かろうじて表情がわかるけれど)ピンボケです。

当時は2曲目の「ラヴ・サムバディ」からステージ狭しと踊りまくる(?)パフォーマンスを見せ、汗まみれになって、三つ揃いで決めていた上着を脱いで行ったロビン。そのロビンがすでに上着を脱いでいますから、これはコンサートもかなり佳境に入っているのでしょう。

若い女性向けのファッション雑誌『ノンノ(non-no)』の「Screen・Stage・Music」レポート欄に取り上げられたのは、当時はいわゆる「外タレ」の来日コンサートが比較的珍しかったのと、その前年に映画『小さな恋のメロディ』が少女たちの心をつかんでいた、というふたつの事情があるのではないかと思います。 

知らないうちに春がやってきてしまった3月のある夜――。真っ暗なホールにストリングスやブラスを合わせる音が、かすかに流れたあと、ビージーズンのコンサートの幕はあけられました。

という臨場感あふれる書き出しに、会場に足を運んだファンの誰もが、あの胸がふるえるような瞬間を追体験するのではないでしょうか。

「文学的なセンスで曲を作ったことはないんです。ただ3人で一緒に集まり、音を出し、ことばをつけただけなんです」と言うギブ兄弟は、別にむずかしいことを歌に表現んしようとは考えていません。若者らしい素直さで、恋についてうたい、身近なちょっとしたできごとに、まるで魔法使いのように美しいメロディをつけてしまいます。

というあたりは来日記者会見での彼らの発言を踏まえているのでしょう。当時、曲を深読みされすぎたり、型にはめられるのを嫌って、自分の作品にはさほど意味がない、という感じの発言を自らするアーティストが多かったきらいがありますが、この彼らの発言にもそんな時代の流れが感じられます。

とにかく、いきなり空想上の炭鉱事故を歌って国際デビューしたというグループですから、「若者らしい素直さで、恋についてうたい、身近なちょっとしたできごとに…」というのは、やっぱりちょっと違うと思う。

コンサートでは『傷心の日々』『小さな恋のメロディ』『若葉のころ』『マサチューセッツ』『マイ・ワールド』『ロンリー・デイ』などのおなじみのナンバーがバリーとロビンを中心に次々とうたわれていきました。黒いスリー・ピースのシャレたスーツを着てベースをひき、コーラスをつけるモーリスは、いままで写真で見たよりも、ずっとステキでした。

このモーリスは、イギリスの人気女性シンガー、ルルのダンナさまでもあるのですが、ロビンとは’49年12月22日生まれのふたごの兄弟なのです。生まれたのはオートバイ・レースで有名なマン島で、ふたりが“ビッグ・ブラザー”と呼んでいるバリーも’46年9月1日にここで生まれています。

この武道館公演は後にテレビ放送され、「写真で見たよりも、ずっとステキだった」3兄弟に女性ファンが急増したのは1973年来日時の過熱ぶりからもうかがえます。

そういえば、90年代にマイアミでビー・ジーズを取材したUniversalの担当者(男性)も、しきりに「しかしモーリスがかっこよかったですね~」とおっしゃっておりました。

記事はこんな風にしめくくられます。

メランコリックなメロディにのせて、私小説のような内容を美しいことばで語りかけてくる彼らのコンサートは“ラブ・サウンド”という呼び方がピッタリ。『小さな恋のメロディ』そのままの、甘い香りがホールにあふれていました。

うーん、ちょっとでもビー・ジーズを聞きこんだ人なら「私小説のような内容」とは、書かないことでしょう。英語圏の人でも「なんじゃこりゃ?」と思ったりする、ちょっと(かなり?)奇妙な言語センスと不可思議な世界観も彼らの大きな魅力でした。同時に彼らは「意識的に、個人の枠を離れて普遍的になるように」詩を書いた、とも発言しています。あまり「普遍的」というか、「抽象的」すぎて、状況を読み取りにくいと評される作品も多い彼らですが、この記事というか、当時の日本では特に、「ビー・ジーズはやさしい(「優しい」&「易しい」)と見なされたフシがあります。この2つ目の「やさしい」は、このプロ集団、アーティスト集団でもあった3兄弟に対して、かなり失礼なとらえ方であったと申せましょう。

ついでに同じページ(ページ上段だけ切り取ってあります)を見ると、「拓郎と六文銭の最後のステージを“猫”がとりもちます」という記事があり、フランスの「ミッシェル・デルペッシュが来日します!」という短信があり、「近藤正臣さんがあなたとおしゃべり」という文化放送、東海ラジオ、ラジオ関西の新番組についての記事があり、ウィーン少年合唱団とホセ・フェリシアーノの来日公演スケジュールが一覧されており、時の流れを感じます。

そうだ、去年あたりから、減退する記憶力を補足する意味でも、覚えている小さなことを書いていこうと思ったので、思い出したことをひとつ。23日か24日か思い出せないのですが、二階席の女性ファンが、「ロビン!」とステージに声援を送りました。ロビンは声の主を探すようにきょろきょろ。すると声の主が「Here!(ここでーす)」と声をかけたので、ロビンは満面の笑顔でそちらに向かって手を振りました。そして客席からはあたたかい笑い声と拍手がわきおこったのでした。

{Bee Gees Days}