Bee Gees Days

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【1979年8月】米誌より『ビー・ジーズ最大の1979年全米ツアーの舞台裏』

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People誌(1979年8月6日号)より
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今年はビー・ジーズのキャリア最大の全米ツアーSpiritsツアー40周年。

当時、アメリカの大衆誌『People』に掲載された記事「ビー・ジーズのツアー同行記」が同誌のサイトに掲載されていますので、以下に内容をざっとご紹介します。

何しろ、全米がFeverで燃え盛る中で満を持して敢行されたツアーでしたので、いろいろな意味で「ビー・ジーズ史上最大」でした。70年代末にBee Geesは何度もPeople誌のカバーストーリーに登場していますが、これがその中でももっとも有名な記事といえるのではないでしょうか。

 

ビー・ジーズのツアー同行記ーー今年の夏もっともホットなツアーの舞台裏を拝見!

 

ロサンジェルス、ドジャー・スタジアム。ラストナンバー「You Should Be Dancing」が終ると、アンコールを求める叫び声がどっとあがった。けれども実は当のビー・ジーズはそのときすでにリムジンに乗って地下のランプをじりじりと地上に向かって移動中だった。いったん外に出ると何百人というファンが車めがけて押し寄せる。夜の闇にカメラのフラッシュがひらめき、若いファンたちが悲鳴をあげて、色ガラスのはまった窓やトランクをトントン、ガンガンとたたく。バリー、ロビン、モーリスのギブ三兄弟、さらに同乗する弟のアンディを間近に見た興奮のあまりただぼうっとしているものもいる。年少のファンがサインしてもらえなかった花柄の便箋をにぎりしめて、涙を流して立っているなか、リムジンは次の公演地へとギブ兄弟を連れ去ってゆく。

この夏、全米を席巻する50回の公演でビー・ジーズ・マニアが燃え盛っているというのに、車の中の雰囲気は驚くほど静かだ。32歳のバリーはシャツを脱いでぐったりし、タオルに頭を埋めている。29歳のロビンは通りすがりの車のドライバーたちが懸命に覗き込もうとする様子を無表情に見つめている。ロビンとは二卵性のふたごでひげをたくわえたモーリスが歌い始める。「I will follow him, follow him wherever he may go...」 バリーが歌声に反応して、くるりとふるむく。「レスリー・ゴア」。はずれ~。「ちょい待ち」とバリーは考え直して、「ペギー・マーチだ」。あたり~。
リムジンはチャーターしているボーイング707機から10フィートほど離れた滑走路までビー・ジーズを運ぶ。空港までの移動はこうしてバリーが「ロック・ロール・トリヴィア・タイム」と呼ぶゲームをして過ぎていく。ここで問題。コンサートのチケットが15ドル、ツアーのキャンセルがあいつぎ、レコード市場が低迷し、不況が続く中で、ビートルズ以来最大の熱狂を引き起こしている70年代末のスーパー・グループはだーれだ? あたり~。ギブ兄弟、バリー、ロビン、モーリスだ。注:ロサンジェルスではダフ屋がチケット2枚を最高700ドルで売りさばいた。ギブ兄弟の美しいハーモニーが満月の輝く7月の夜空にひびきわたるなか、集まったファンの数56,000人(動員された警官の数400人余)、正規の業者が扱うビー・ジーズのプログラム、ポスター、Tシャツ、グッズ類は1分間にほぼ3,000ドルのペースで飛ぶように売れた。

それでもパーソナル・マネージャーのディック・アシュビーは言う。「今回のツアーがはじまる前ほどギブ兄弟がぴりぴりしているのを見たことがない。いまキャリアの頂点に立っているからて、あれこれ言われるだろうからね」。いま、13都市の公演を終えた段階でモーリスは言う。「これはおれたちが実現する日が来るとは思わずに、でもずっと夢に見てきたツアーなんだ」と。

「Tragedy」で90分間のコンサートの幕が切って落とされると、聴衆はいっせいに耳を聾するばかりの悲鳴をあげる。まるで滑走路を行くジャンボジェットがたてるみたいな騒音だ。RSOレコードのアル・クーリー社長は『サタデー・ナイト・フィーバー』のLPが未曾有の売り上げ2700万枚を達成した結果をまざまざと体験した。「耐えられない~」というのが初日のフォートワース公演を終えた後の彼の泣き言だ。「2本の煙草からフィルタ部分を折りとって耳につめましたよ」 でもバリーは気にしない。「半分しか埋まってないホールで演奏したこともある。ほんとは聴衆はぼくたちの歌なんか聴いてない、という気がいつもしていた。だから、今はぼくたち、すごく楽しいです」

楽しいはずだ。ボーイング707機は特別あしらえで、リース料は100万ドル以上。ビデオプレーヤーまであって快適なリビングなみだ。デザイナー・ジーンズにふわっとしたハワイ風のブラウスをまとった客室乗務員がグルメ料理をサーブする。ギブ兄弟には(シャーリー・マクレーンから借りた)専属の衣装係がついており、一行はギブ家の両親、細君2人、子ども3人を含む総勢約90人だ。地上には機材とクルー用に7台のセミトレーラーと(32個の寝だなつき)2台のバスが連らなっている。「もう自分のギターもチューニングしてない」とバリーは笑う。「ありとあらゆることに《係》がいる」

これほど業務の細分化が進んでいると、自分はえらいと錯覚しそうにもなるだろう。その危険はギブ兄弟も知り抜いている。すでにポップスターとして2度の浮き沈みを経験しているからだ。1969年には解散にまでいたっている。映画『サージャント・ペッパー』の大コケでまたも落ち目になりそうなところを「救われた」のもFeverが大成功していたおかげだ、とバリーも認める。(今や映画『サージャント・ペッパー』は《ロバート(スティグウッド)の愚行》と呼ばれている)

長兄バリーに言わせれば、浮き沈みの激しい23年のキャリアの中で生きのびる(stayin' alive)ために彼らが学んだ教訓は、「何よりも、きちんとしていること」だという。バリーは本気でそう信じている。バリーのマイアミ邸に同居して仕事をしているマネージャーのアシュビーは言う。「以前にも浮き沈みを経験していなければ、いまごろハチャメチャになっているだろうが、今の彼らなら何があっても対応できる」。以前はFBIエージェントだったというガードマンのひとりは、仕事を受ける前に「彼らについて調べましたよ。ハードドラッグにいかれてるロックスター3人にかかわったりしたら、こっちの評判が悪くなるからね」。

コンサートの前には紅茶を飲むというバリーも、前回のツアーではコカインをやったそうだ。しかし「その後1週間も鼻がコンクリート詰めみたいな感じだった」。一時覚せい剤(スピード)をやっていたロビンは、今は、大麻だって悪影響がある、という。「現実に直面して幸せになれないなら、生きていてもしかたないじゃないか。もっともぼくたちは聖歌隊の少年たちでもないけどね」。かつての飲酒問題を解決したモーリスは、大麻では過呼吸になり、「LSDなんて見たこともない」という。コンサートの前に銀のスプーンを顔に近づけることがあるとすれば、はちみつを舐めるためだそうだ。

ツアー中のパーティもしごく穏当で、もっぱら家族向けだという。「部屋ごとに裸の女性をはべらせていると思われてるみたいだけど」と言うロビンの妻モリーと二人の子どもたちはイングランドにいるが、ツアーの後半に合流することになっている。元ミス・エジンバラであるバリーの妻リンダは、「みんな、ほんとに成長した」という。一緒に移動しながら、兄弟は何時間も冗談を言い合っている。下ネタ気味で、ロビンに言わせると「ぼくたちが持って生まれた下品なユーモアのセンス」満開のジョークだ。それに、「このツアーでは窓からテレビを投げ捨てるみたいな無礼講の時間はない」。

「その種のことは卒業した」とバリー。「落ち着いて成功と向き合えるようになった。意見が合わないことがあっても、そこにこだわらない。長い時間をかけてそれを学んだ。もう栄光には惑わされない」 ビバリー(ヒルズ)ヒルトン・ホテルのバルコニーから見やりながら、バリーはこう話してくれた。「こんなところには住めない。ハリウッドは巨大なえせ宗教を思わせる」 ぼくたちは流行りのスピリチュアル系教祖には近づかずにきた、とバリーがいえば、グループ一のひょうきん者であるロビンが、「《光の便秘対策》教とかね」と言う。

高い金を払ってイエスマンに囲まれるのでなく、ツアーを血族で固めたことで、ふつうなら慢心でいっぱいになるはずのプライベート領域が誇りに満ちたものになった。かつてはバンドリーダーだった61歳の父親ヒューと58歳の母親、21歳でスーパースターの弟アンディ(ツアーの一部に同行)、バリーの妻リンダ29歳、息子スティーヴィー5歳、それにクルーの中で一番ホテルの部屋を汚しそうなアシュリー2歳、モーリスの妻イヴォンヌ29歳、息子のアダム3歳、祖母ローラ・パス(訳注 実際はノーラ)80歳。祖母は孫たちが歌う姿を見ようとオーストラリアから20年ぶりにやってきたのである。レコード・映画業界の大立者であるスティグウッド《おじさん》も飛行機嫌いをJ&Bウイスキーで紛らわせながら、ツアーの一部に同行した。(「離陸のとき、おれたち、いっせいにがたがたやって「うわああああ~!」って叫んで、スティグウッドを怖がらせてやるんだ」とモーリス)

今回の成功で、ギブ兄弟が以前より平静であるというなら、もうひとつ、今回は金額もぐっと大きいともいえる。生れ故郷のイギリスで最大課税率が(83%から60%に)引き下げられそうないま、バリーとモーリスもイギリスで生活し仕事をする時間が増えるかもしれない。ただ、モーリスは新しい故郷となったマイアミから完全に引っ越すという噂は「間違ってる」という。息子のアダムには英国で教育を受けさせるが父親のモーリスは自前の10人乗りファルコン・ジェットでフロリダと行き来することになる。「日照のある暮らしが気に入っている」のだ。同様にバリーも「水上で猛スピードで飛ば」(27フィートのマグナム船で時速80マイル)して深海釣りがしたいからビスケイン湾を離れないという。ロビンと妻のモリー(32歳)、息子のスペンサー(7歳)、娘のメリッサ(5歳)はサリー州に住んでいるが、そのロビンもロング・アイランドに湾を見下ろす家を買った。

いまビー・ジーズにとっての問題は根なし草のような暮らしではなく、外界との絶縁状態だ。「とにかくこのツアーはまるで牢獄に入ってるみたいだ」とロビンはホテルの部屋でバーガーをぱくつきながら言う。「シャツ1枚買いに行くにも警備とか移動方法とか2時間も計画しないといけない」。(実はテキサスでギブ家の面々と12人のバンドメンバーが映画『エイリアン』を観ることができたのは、スティグウッドが劇場の支配人に、桟敷席全体を専用に貸し切るというとても断れない申し出をしたからである)自宅にいるときでさえ、事態は楽ではない。「何か買いたいなと思ったら」とバリー。「RSOの誰かに電話して買ってきてもらいます。万事がコントロールされた秘密の世界に住んでいると、そういうバカげたことになるんです。まるでプレスリーみたいだーーこわい話ですよ」

それでもバリーは「きちんと対処」できるという。「とにかく人が言うことを全部信じなければいい。ぼくがポップスターではなくなって、他の生き方を模索するようになれば、元に戻るでしょう」。それもそう先の話ではないのかもしれない。ロビンは、これがビー・ジーズとして最後のツアーになるだろう、とさりげなく口に出した。(NBCの撮影班が来シーズン放映予定のスペシャル番組用にこのツアーを撮影中だ)ビー・ジーズはスタジオ・アルバムをあと1枚だけ出してからパフォーマーとしては引退して、ライター/プロデューサーとしての活動を選ぶかもしれない、とギブ兄弟は考えている。ロビンは『サージャント・ペッパー』に続いてもう一度演技に挑戦してみたいという。「もう一度《過去のグループ》になるのはごめんだ。ニクソンがホワイトハウスでヘリの前に立って手を振っている、みたいなお決まりのイメージは必要ない。ぼくたちがこの世に生まれたのは一緒に仕事をするためだけれど、永遠にビー・ジーズではいられない」 なぜ、いま止めるんですか? ロビンの答えは「頂点で止めたい」。

何しろ40年前の記事ですので、改めて読み返すと感慨深いものがあります。まず第一に、このツアーの最中にすでに「反動」が始まっていて、その後ビー・ジーズは「ディスコ」の烙印に長く苦しみ続けることになります。また当時は、ビー・ジーズ解散説、不仲説、引退説があちこちでささやかれ、同時に「次はオーストラリアだ、日本だ、ヨーロッパだ」とツアーの噂も飛び交いました。

この記事が掲載されたPeople誌は表紙だったこともあって当時何冊か買ったのですが、40周年記念特集に出そうかと思って探したら見当たりません(大汗)。長年の間に大勢の方に差し上げたりしたので、間違えて自分の分をとっておき忘れたのか??? ありそう~(涙)。あるいはどこかにあるのか(それもありそう…)。

40年後の夏もやはり暑いです。みなさま、お体を大切に!

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