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バリー・ギブ”ぼくたちは深く愛し合っていた”(ミュージック・ウィーク誌インタビュー)

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バリーはシルバー・クレフ賞受賞を目的に渡英した際に、おそらくは秋のイギリス/アイルランド公演を視野に入れて、いくつかのインタビューを行いました。今回は業界紙の『ミュージックウィーク』(オンライン版2013年6月28日付)に登場した4ページの長文インタビューの内容を簡単にまとめてご紹介します。聞き手(書き手)は音楽評論家のポール・ウィリアムスですので音楽関係の話題が中心になっています。

「ぼくたちはお互いに深く愛し合っていた」

『サタデー・ナイト・フィーバー』の大ヒットに続くアンチディスコの波など、栄光に満ちているとはいえ、決して平坦ではなかったビージーズの来し方。それでもどん底と思われるところから、その都度またさらに力強く復活してきてみせたビージーズだ。が、今回の”どん底”はバリー・ギブにとってこれまでになく個人的な苦しいものだった。モーリスを失って数年、昨年5月にはロビンを失っている。
それでもまたバリーは今回も復活を遂げつつある。2月のオーストラリア(3兄弟が子ども時代を過ごした場所である)公演に続いて、この秋にはイギリス/アイルランド公演が予定されている。これに先立ち、6月28日には音楽療法で知られるノードフ・ロビンス関連のシルバークレフ賞功労賞を受賞する。

ロビンを亡くして苦しい一年だったと思いますが、このタイミングでの功労賞受賞について?

この賞は子どもの病気のための音楽療法チャリティに関連しています。その点がぼくにとっても心を癒してくれる効果を持っていましたので、今回の受賞を特に嬉しく思います。この1年、いやこの10年ほど、弟たちと一緒ではなかったので、音楽がぼくにとって持つ意味が変わりました。音楽はぼくにとってさらに大切なものになり、特定のジャンルを超えてありとあらゆる音楽を聴くようになって、ブルーグラスとオペラに夢中になりました。今はこういった異種の音楽体験を消化しているところで、そういう意味でもぼくにとってこの賞は癒しになっています。またイギリスではこれまで個人として賞を受けたことはなく、いつもグループとしての受賞でしたので、そんな意味でも格別です。

こちらも近づくソロ公演を楽しみにしています

ぼくも待ちきれない気持ちです。長男も一緒ですし、素晴らしい歌手である姪のサマンサも一緒で、すごいバンドなんです。今は充実した幸せな時期です。もうプレッシャーがありません。このトシでストレスのある暮らしはしたくない。現在を大切に生きつつ、同時にのんびりとやる。今ならそれができると思います

またステージに立とうという気持ちになった理由は?

”飢え”です。ぼくたちの音楽を、ぼくたちの曲を本当に愛してくれる観客を目の当たりにできる。「ああ、これがビージーズなんだ」といろいろな世代に人たちが感じてくれる。それを目の当たりにしています。実はぼく自身はぼくたちが何者なのか、わからずに来ました。成功も失敗もすべて予想外の展開で、ぼくたちはいつも自分で自分を驚かしていたんです。

オーストラリアとはツアーのスタートにまさにふさわしい場所でしたね。

気持ちの問題でした。ぼくたち、オーストラリアで育ったので。ビージーズと名乗りはじめたのもオーストラリアです。個人的に南太平洋やオーストラリア、ニュージーランドに

とても心惹かれています。自分ではオーストラリア人だと思いたいんです。でも同時にぼくはイギリス人ですし、アメリカにも住んでもう35年になります。

ロビンとモーリスなしでステージに立つのはどんな気持ちでしたか?

いつもいつもふたりの姿がステージの上に見えるんです。ふたりはぼくの隣りに立っている。それは変わりません。いつも近くにふたりがいると感じます。とくに昔、一緒に一本のマイクで歌ったときの感じ、あれがいつでもあります。ふたりがいなくてさびしい。ある意味でいまますますさびしさが増しています。時が経てば経つほど気持ちが増して、頭の中でふたりの意見が聞こえるんです。「モーリスならどう思うかな」「ロビンならどうかな」「アンディだったらどうかな」といつも考えています。父も亡くなりましたが、こんな信じられないような状態で一番苦しんでいるのは母です。

弟さんたちの思い出を讃えるためにはあなたがステージに立つことが一番なのではないでしょうか。

今ぼくがしているのは弟たちの思い出とぼくたちが歩んできた道を大切なものとして生きなおすことです。いずれ、他のアーティストも集めてトリビュートのようなことをしたいという気持ちはありますが、今はぼくがひとりでぼくたちの道をたどりたいと思っています。ぼくたちには変わらない夢があった。結局、すべてがかなうことはなかったけれど、何もかなわなかったわけでもない。夢にも思わなかったような体験もしました。ぼくたちは本当の意味で”バンド”でありませんでした。ただ三人の兄弟が夢を追い求めてがんばった、それだけです。

ステージでは新曲も?

いずれスタジオ入りしたいと思っていますが、今のところ新曲はありません。今は僕たちのおなじみの曲がどんな風に生まれたか、それを紹介して、演奏を楽しみたいと思っています。来てくださった方はきっと楽しい思いで会場を出るはずです。

すると新曲をレコーディングする予定も?

今のところはその日その日をなんとかしのぎたいというところです。無理はせずに行きたいと思っています。まず今回の公演をこなし、その後、もしできればスタジオ入りし、そのまた後にはできればアメリカ公演も可能ならなあとは思っています。

ソングライターとしてですが、いつも書いているというタイプですか? それとも決まったプロジェクトがあるとそれに合わせて書くタイプ?

ぼくは依頼があって書くときの方がいいみたいです。だからロバート・スティグウッドとうまく行ったんです。『グリース』が好例です。プレッシャーがあった方がうまくいくタイプですね。でも同時に、いつも何か思いついたり、書きかけたりもしています。ロビンのことを書いた曲などもあり、いずれきちんとまとめたいです。

これまでも他のふたりとは別に書いたことがありますが、誰か他の人と組んで書くときとは違いがありますか?

ずいぶん違います。ぼくたちの場合、曲作りは仕事にもなっていたし、誰の助けも借りられなかったので、グループ外の人と書くという体験には楽しい面があり、それは三人ともやっていました。ロビンもやったし、モーリスもやった。モーはずっと以前にルルの弟とも組んでいたことがあります。三人ともそういう経験を楽しんだし、またそれが結果としてグループにプラスの影響をもたらすことにもなりました。『アイランズ・イン・ザ・ストリーム』のようなコラボレーションは三人の意見が一致して生まれたものです。ただ、ぼくたちが曲を書く現場を見た人はいないので、それはぼくの中にしまっておきます。ぼくが知っているぼくたちのやり方というものがあったんです。

今、他の人と組んで書く気持ちはありますか?

今は息子たちとの共作を楽しんでいます。スティーブンとの作業は楽しい。すぐれたリードギタリストであり、ロック声の持ち主なので、そういう点から影響を受けて、ぼく自身がよりハードになったりしています。次男のアシュリーとの作業も楽しい。上のふたりの息子とはお互いに楽しんで一緒に仕事をしています。でもいずれ、誰か他の人とやる時が来るかもしれない。たとえばバート・バカラックと曲を書いてみたいなあ、とか、ポール・マッカートニーと仕事をしたいなあとは、いつも思っていました。まあ夢の段階ではありますが。

ちょっとびっくりするのですが、実は1984年の『ナウ・ヴォイジャー』以来、ずっとソロアルバムは出していないんですね?

生きるのに忙しくてね。もう1日に10時間もスタジオで過ごす気持ちになれないんです。昔はそうだったので、スタジオの外で逃してしまったものが多い。もうそんなに長くスタジオで過ごしても楽しくないし、耳にも負担です。ライブやアナログの音楽、実際にバンドが演奏する実際の曲、今はそんなところに関心があります。もうプログラミングとか、50種類の音が出せるキーボードとかはちょっと…。今は「じゃ、演奏してみて、一番いいテイクで行こう」という感じです。初心帰りですね。

ロビンとは一緒に曲を作ったり、レコーディングしたりする計画があったのですか?

最後の数年のロビンはソロでやりたいという気持ちが強かったし、ぼくたちふたりは非常に違っていた。モーとアンディもそうですが、ぼくたちはみんな兄弟だったし、とっても似ていたけれど、とっても違ってもいました。その点についてはお互いに納得するようになっていたと思います。ロビンはなんというか、いろんな目的があって、いろいろな理由でいろいろなことをしていた。ぼくはぼくで音楽以外のことにはあまり乗り気になれない質(たち)で、そこがふたりの違いでした。一緒にやれていたら素晴らしかったでしょうが、ロビンとぼくでは生き方が違い過ぎた。

その違いが素晴らしい音楽を生んだということですね。

まさにその通りです。一番いい時期にはこれ以上ないほど仲が良かった。心からロビンを思います。あのユーモア。物の見方がすごく面白くて、スパイク・ミリガン(訳注:」ロビンが好きだったイギリスのコメディアン)みたいな、『グーン・ショー』のキャラクターみたいなところがあって、もうおっかしくって。でも同時にすごくシリアスなやつでもありました。 マルクス兄弟にたとえると、モーリスが口数の少ないハーポ。いろんな楽器を演奏して、ビジュアル面での貢献が大きかった。ロビンは言葉系でした。それぞれ違っていたぼくたちですが、本当に愛し合っていて、これ以上ないほど距離が近かった時期もあります。名声が生じると全てが変わってしまう。どんなグループにとってもね。

ビージーズのキャリアはまさに驚異的ですが、中でも驚くのは常に楽な道程ではなかったという事実です。うまく行っているかと思えば、突然、前方に障害が生まれる。

煉瓦の壁がどーんと立ちふさがる!

でもすごいことにその障害を乗り越えてしまう! そしてまた成功…と思うと、またまた前方に新たな障害!

それこそ生きるということではないでしょうか。ぼくたちはビートルズにはなれなかった。マイケル・ジャクソンにもエルビスにもシナトラにもなれなかった。彼らはとにかく有名になるべく生れついたという感じですよね。ぼくたちの方はビートルズ以前にオーストラリアのポップシーンから生まれました。アメリカの音楽の影響が強い地域だったので、あまりイギリスの音楽は聴かず、独特の影響を受けて成長しました。ホリーズ、フォーチュンズ、『Go Now』(ムーディブルース)とかが好きでした。 それから「I Feel Fine」「A Hard Day's Night」みたいな曲を聞いて「おれたちもやろう」と思いましたね。ホリーズの「I'm Alive」とかね。そういう曲を聞いて、おれたちもイギリスへ帰ってやってみよう、と思ったんです。

 ビージーズの前に立ち塞がった障害のひとつが70年代末から80年代初頭にかけてアメリカで燃え上がったアンチディスコの風潮でした。あれがなかったら、それまで通りにビージーズのアルバムを出し続けましたか?

 その時その時の状況に応じた決断ですから、その質問にはどう答えたものだか。いわゆるディスコをかなりさかのぼる1972年ごろ、ぼくたちに対する関心はすでにかなり薄れていました。ラジオでもかけてもらえなかったし、「だいたいどのグループも寿命は5年ぐらいかな。ぼくらもこれまでか。オーストラリアにでも帰るかな」という状態にありました。アリフ・マーディンに会って『メイン・コース』を作ったころは方向性も定まっていなかった。アメリカでレコーディングしたのはアメリカンミュージックが好きだったのと、エリック・クラプトンに「(オーシャン・ブールバール)461番地の家を借りたらいいじゃないか」って言われたからなんです。

「ジャイブ・トーキン」が生まれてすべてが起こりはじめたわけですね。

ファルセットその他ですね。デルフォニックスやスタイリスティックスが好きだったし、あの流れで75年から79年が過ぎました。それからバーブラ(ストライサンド)など他の人と仕事しようという時期があって、道は続いていきました。明日どうなるかなんてわからない。何があってもそれに対応していく、というしかありません。

当時、話はあったけれど結局実現しなかったコラボというのはありますか?

裁判の数カ月前にマイケル(ジャクソン)と1曲だけレコーディングしました。彼とはとても親しくて、1-2週間うちに泊まりに来ていたんです。一緒に飲んだり、そういう関係でした。一緒に歌ったり、曲を作ったりもして、いろいろな可能性もあったのですが、マイケルは悩みやストレスを抱えていて集中できない様子でした。デモしか作りませんでしたが「It's All In Your Name」という曲のことはずっと忘れないでしょう。

現在のアーティストで「一緒にやってみたいなあ」と思うような人・グループは?

デイブ・グロール。フー・ファイターズが好きなんです。コールドプレイとクリス・マーティンもいいですね。影響を受けています。一緒に仕事をしてみたい人です。ノードフ・ロビンズ賞の時に会えるのを楽しみにしています。ぼくがオリヴィア・ニュートン=ジョンと一緒にヴィクトリア州でチャリティに出たときに、コールドプレイがシドニー公演をしていたので、会って一緒に朝食をとって曲作りの話などをしました。何か実現すればいいと思っています。

ビージーズの曲の新しいカバーとかには注意していますか?

リッキー・スキャッグズと一緒にレコーディングしたばかりです。ブルーグラスが大好きで一度会ってみたいと思っていたので、ナッシュビルのスタジオを訪ねました。今は採算は度外視して、こういうささやかな夢を追いかけています。自分がいいなと思う音楽を追求しています。カバーの方はあまり聞いていませんね。

マイケル・ブーブレがニューアルバムで「ラヴ・サムバディ」を取り上げています。

それはまだ聞いたことがありません。昔はレコード会社の方から「作者として感想は?」とレコードを送ってきたものですが、もうそういうこともありません。だいたい買えませんよね。ダウンロードするしかない。

レコード店というもの自体なくなってきていますよね。

マイアミにはもうレコード店も書店もありません。ぼくは立ち読みしたり、ぶらぶら見たりするのが好きなタイプなので、ほんと困っています。

この10年ほどの間の業界の変化についてはどうでしょう? うまく合わせていますか?

いや、ぼくはぼくなりのやり方で行くしかありません。自分が出しているサインに自分で気をつけて、アルバムを作りたいと感じたらアルバムを作ります。この10年間ほどは楽しいと思えませんでした。レコード会社の方が、こういう曲を書けだの、アルバムにはこういう曲を入れろだのと口を出してくるようになりましたからね。若いころはああいうやり方じゃなかった。レコーディングしていると隣りに人がいてメモを取っているのなんて、ぼくはまっぴらごめんです。

ぼくがレコード会社の人間だったら、あなたに指図しようなんて思いませんけどね。「バリー・ギブなら何でも知っている」とぼくなら考えます。

そうでもありませんけどね。実際、若い連中の方がよくわかっているというのはあります。ただ、今は業界のえらい人たちもみんなぼくより若いので、ちょっと話が違っている。ぼくのトシでやっていくのはかなりしんどい。だから自分なりのやり方でやるしかないわけです。別に自分の能力を証明したいとかそういう話じゃなくて、ただ音楽をやりたいだけなんです。
数年前にカタログをユニバーサルからワーナーに移しましたね。ワーナーの取り組みについてはどうですか?

もうちょっとクリエーティブになってほしいかな。現状よりもっとぼくも参加できたらなと思います。

なかなか慎重なお答えですが、言いたいことはわかります。

レコード会社もアーティストも中枢を欠いていると思うんです。その点には対処したいです。

数年前にスティーブン・スピルバーグがビージーズのライフストーリーを映画化するという話がありました。今でもあの企画は生きているのですか?

いいえ。スティーブンとドリームワークスの人たちはブロードウェイのミュージカルにしたがっていたのですが、ぼく自身は「映画がいいと思う」と言っていたんです。いろいろと話はあったのですが、先方の希望はブロードウェイでぼくは映画を希望していたので、結局、ぼくが「まあ、またいつか」という気持ちになってしまいました。まず、ぼくたちの子ども時代の物語があります。渡英後の話はまたそれだけで独立した別の物語だと思います。結局のところ、映画化は実現しないかもしれませんが、すごい物語なんですよ!
自伝を書く気持ちは?

いま本を書いているところですが、気が乗った時にだだっと続きを書くというやり方です。オーストラリアでの子ども時代から帰英したところまで書きました。カーナビー・ストリート、「ストロベリー・フィールズ」「ペニーレーン」など、1967年当時のイギリスの様子や、ロバート・スティグウッドとの出会いでぼくたちの人生がどう変わったか、などですね。彼はグループとしてのぼくたちの人生にもっとも影響した人だと思います。

なぜ彼はそれほど特別な存在なのでしょう?

 洞察力に富み、どの曲がヒットするか、次にはどうしたらいいか、基本になる事実を把握する能力に長けていたのです。彼は機会を与えてくれるというタイプの人でした。こちらはそれに応えるわけです。彼に会うまでのぼくたちは「コメディトリオ」だったんです。なんとかそこから脱皮して、オーストラリアから出てイギリスで成功したイージービーツやシーカーズと争えるような位置につけたかった。だからNEMSでブライアン・エプスタインのパートナーだったオーストラリア出身のスティグウッドに目をつけました。1967年の段階でNEMSと契約するってすごいことだったんです。

もうひとつすごいのは、何年にもわたってヒットを出すというだけでもたいしたことなのに、ビージーズの場合、「何年」どころじゃない、「何十年にもわたって」なんですね。

そういうアーティストは多いですよ。でもぼくたちの場合ユニークなのは、無理だと思われるような状態から兄弟三人とアンディも加えたユニットとして本当に結果を出せたときもある、というその点だと思います。ぼくたちがビージーズとして発表してもラジオやテレビで取り上げてもらえなかったでしょうから、バーブラやケニー、ドリー、ダイアナ・ロスなどと仕事ができて良かったと思います。

究極的には自分をソングライターであると考えていますか? それがメイン?

そうです。とにかく書き続けること。それを守ったからこそ長い目で見てうまくやれたのだと思うし、その点を誇りに思っています。 

 以前にバリーと話したときに、仕事の話になって、「自分の仕事が好きで楽しんでいるかどうか」と聞かれたことがあります。「大好きなことに取り組んで一生懸命にやる」という生き方はとても素敵ですね。それでこうやって素晴らしい結果を出して、大勢の人の心に届いたわけですから、バリーもロビンもモーリスもとても誇っていい生き方だと思います。バリーが考えているというアルバムはもちろんですが、書いているという本も完成してくれるといいですね。

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Words

ロビンとモーリスはふたごで、アンディとぼくもふたごみたいでした。アンディとは同じところにあざもあったし。

バリー・ギブ