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【Songs】日本語訳詩コーナー―アンディ・ギブ「永遠の愛」

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アンディ・ギブ(1978年)

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【3月はアンディ・ギブ特集】

1988年3月10日にイギリスで亡くなった後、アンディの亡骸はアメリカにもどり、ハリウッド・ヒルズにあるフォレスト・ローン・メモリアル・パークに埋葬されました。1992年に亡くなった父親のヒュー・ギブと2016年に亡くなった母親のバーバラ・ギブも、今は同じ墓地に眠っています。

アンディの墓碑銘には名前と生没年のほかに、「An Everlasting Love」と刻まれています。アンディ・ギブの国際デビュー後4枚目のシングルとなった「永遠の愛」の原題です。

サイトをやっていて、一番リクエストをいただくのは、いろいろな曲の日本語訳をしてほしい、というものですが、今回この曲を取り上げることにしたのは、上記の理由のほかに、最近ネットでアンディのこの曲について「歌詞を読んでみたらストーカーの歌で驚いた」とコメントされていて、それこそ驚いたからです。 

ずっとここで 悲しむ君を見てきたよ
さびしいぼくの世界の中で 君はぼくの幸せだった
でも君にとっては 彼だけが太陽 そして雨


抱きしめることも 抱きしめてもらう
こともできないでいるうちに 君を失いそうになっていた
ぼくなら君を悲しませたりはしないのに

永遠の愛にかけてみようか


*ああ ぼくたちにはある 永遠の愛
高く 広く 空にも届く
とどろく雷さえ見下ろすような愛
君に愛してほしい ただそれだけ
君がほしい ただそれだけ
永遠の愛があれば
ふたり どこでも行ける
涙なんて過去のもの
苦しみを消して
涙の思い出をぬぐいさって
永遠の愛は決して消えない

あたためてくれ この焦がれる
思いをかなえてくれ
気晴らしで ぼくの心を望むのなら
そんな君が いっそう愛おしい

空の星さえ生まれる前から ぼくは君のもので
君はぼくのものだった
ぼくなら 君に あんなつらい思いはさせなかったよ
決して君を悲しませない
永遠の愛にかけてみないか

(作詞作曲 バリー・アラン・ギブ)

冒頭の3行で、この歌の基本的な人間関係が提示されます。かなりストレートな求愛の歌。「ぼく」と「君」はおそらく幼ななじみ。「ずっとここで」と訳した箇所は英語では、「I've been here all your life」。直訳すると、「君の生涯ずっとぼくはここにいて」となりますから、家族みたいに育ったとても近い存在、子どものころから知ってた「君」なのでしょう。

ただし、ただ「見てきた」んじゃなくて、「悲しむ君」を見てきたのです。「悲しむ」と訳した箇所の英語はcrying game。「クライング・ゲーム」というとニール・ジョーダン監督の1992年の映画のタイトルに使われ、今ではその映画の内容に関連した意味で使われたりします。

映画「クライング・ゲーム」はアカデミー脚本賞をとったほど語り方にポイントがある作品ですので、ここではこれから見ようという方のために、ネタバレを避け、その用法についても触れないことにします。

どちらにしてもバリーがこの曲を書き、アンディが歌ったのは1978年で、映画「クライング・ゲーム」はまだ作られてもいません。ここはふつうに、「自分ではどうしようもない、どうするつもりもない状況について、悲しんだり、愚痴をいったりすること」です。その状況がどんなものであるかは3行目に出てきます。「ぼく」が見つめている「君」は他の、おそらくは不実な男性と悲しい恋をしているのです。

だから悲しまないで、ぼくは実は君を本当に思っている、という、わりとよくある設定のこの歌、ちょっと心をうたれるのは、「気晴らしで」からの2行。

ここでちょっと時間軸通りに歌われているストーリーをたどると、幼馴染のふたり(ビー・ジーズには「若葉のころ」をはじめ、このモチーフが多いですが、最近のバリーの一連のインタビューを聞いていると、どうもそれは恋多き少年だったらしい(?)バリーの子ども時代の体験に根ざしているのかもしれません)がいて、「ぼく」の方は彼女を意識していたけれど、その気持ちを相手に知らせる前に(「抱きしめることも 抱きしめてもらうこともできないうちに」)、彼女は他の男性と恋をしてしまった。でも彼は彼女を苦しめ、悲しませる。そんな彼女の悲しみをおそらくは恋の悩みの聴き手として見守る「ぼく」。あ~、これって悲しい役回り…。

そこで一番の最後で「永遠の愛にかけてみようか」とあるのは、「ぼく」がついに「いい人」役を止めて告白を決意した、ということでしょう。で、その告白の内容がサビの部分です。「とどろく雷さえ見下ろす」は、まんま「雷様を下に聞く」ということなのですが、バリーはよくこの(文字通り位置的にも)「高い」愛を歌います。空間も時間も超えてはるかに、というイメージなのでしょうね。

とにかく「ぼく」は告白しました。2番の最初の2行は押しまくっています。(「この焦がれる思いをかなえてくれ」)そして彼女の答えは、おそらく単純なイエスではなかったのでしょう。それが2番の3行目、「気晴らしで ぼくの心を望むのなら」にあらわれています。この部分は彼女の答えに対する「ぼく」の反応でしょう。

つまり彼女は、「あなたの気持ちは嬉しいし、もし付き合えば悲しみもまぎれて、良い気晴らしにもなると思うけど(あなたのためにも、そんなことはできない)」と言ったのでしょう。そこでもう一度「ぼく」は押します。「それでいい、そんな君を君の悲しみごと引き受けるよ!」(「そんな君だから いっそう愛おしい」) お~、覚悟ができてるじゃないか!

というわけで、これはかなり男前なラヴソング。ひたむきで強くてやさしい。

しかし、バリーも(たぶんアルバム『スティル・ウォーターズ』のころのインタビューで)言っていましたが、「昔はひたむきな愛でとおったものが、最近ではストーカーみたいになってしまうので、ラヴソングが書きにくくなった」というのは本当でしょう。だいたい、密かに見守る(純愛)のと勝手に恋い焦がれる(迷惑なストーカー)のはぜんぜん違うけど、表現としてはある意味で紙一重ですよね。

その良い例が、若きビー・ジーズがオーストラリア時代に歌った「ふりかえった恋」。全米ではヴォーグズがヒットさせましたが、もともとはグレン・キャンベルの曲。

誰かが君のうしろを歩いているよ
振り返ってみてごらん
誰かが君の歩みを見つめているよ
振り返ってみてごらん…

という内容は、もともとはロマンチックな秘めたる恋、見守る恋の歌だったわけですが、いま読むとちょっとこわい? レターメンのバージョンがストーカーを扱った映画だかドラマだかで使われたりもしたそうで、今ではすっかり「そっち系」のイメージがついています。

ビー・ジーズのストーカー・ソングではないかと言われているものには、アルバム『リヴィング・アイズ』のラストを飾る「ビー・フー・ユー・アー」があります。曲のタイトルをそのまま訳すと、「そのままの君でいて(自分らしい自分でいて)」なので、ビリー・ジョエルの「素顔のままで」のような、「飾らない君が好き」というような内容かと思ってしまいがちですが、聞いていくと愛の狂気が歌われているようで、バリーのヴォーカルからも深い複雑な感情が伝わってきます。

比較して、この「永遠の愛」は当時アイドル街道を驀進中だった、ブロンドボーイのアンディがややハスキーに軽やかに歌って、あくまで爽やか。

「永遠の愛」は全米チャート最高位5位。アンディが国際デビューした「恋のときめき」以来保っていた連続3曲1位という記録が途絶えた曲でもありますが、全米5位はやっぱり立派な記録です。

{Bee Gees Days}

 


 

 

Words

ぼくたちは三人でひとりの人間みたいだった。

ロビン・ギブ