Bee Gees Days

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Home Bee Gees Data Songs 訳詞コーナー:「ジングル・ジャングル」

訳詞コーナー:「ジングル・ジャングル」

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「ジングル・ジャングル」もオーストラリア時代のビージーズの曲です。1966年の夏、シドニーの郊外にあったセント・クレア・スタジオで、エンジニアとしてオシー・バーンの手を借りて録音されました。

オシーはもともとビージーズのファンだったということで、彼らに協力を惜しまず、それまできちんとしたスタジオ作業とは無縁だったビージーズにシドニー郊外のハーツビルに所有していたレコーディング・スタジオを提供。自由に使用させて、若きギブ3兄弟の才能の開花を助けたのです。

彼らの初めての大ヒットで、コンサートでのレパートリーとしても定着している「スピックス・アンド・スペックス」もオシーの助力を得てこのスタジオでレコーディングされました。

 1967年、世界デビューを目指したビージーズがイギリスへ渡ったときも、オシーは彼らに同行。デビューシングル「ニューヨーク炭鉱の悲劇」などを収めたアルバム「ビージーズ・ファースト」のプロデューサーを務めています。けれども皮肉なことに、ビージーズ自身がプロデューサーとして、アーティストとして進化していく中で、彼らはオシーの力を必要としなくなっていき、彼らが一緒に作ったアルバムは結果的に「ファースト」が最後になります。

その後もギブ兄弟とオシーの友情は続き、1983年、3人は末期がんと闘っていたオシーをロンドンの病院に訪ねています。オシーはその後まもなく亡くなり、1985年のビージーズのアルバム「E.S.P.」は彼の思い出に捧げられています。

写真はオシーと一緒のギブ三兄弟。 

しゃりりん しゃららん
銀の腕輪した恋人は
そぞろ歩いては
ぼくの心をとりこにする
しゃりりん しゃららん
腕輪が鳴るよ

お互いの肩に顔を埋め
嘆きあったぼくたちだけれど
いま ぼくは年を重ね
彼女は歩みを進めていく
あの娘が人を愛したいまも
ぼくはこの耳に聞く
いまも頭の中で
銀の腕輪が鳴るよ

しゃりりん しゃららん
銀の腕輪した恋人は
そぞろ歩いては
ぼくの心をとりこにする
しゃりりん しゃららん
腕輪が鳴ったよ…

シンプルで無駄な表現をそぎとった言葉づかいがトラディショナルなフォークソングのような、一度聞くと耳に残って離れない佳品です。

第一連と最終連はほとんど同じ内容が繰り返されて、時制だけが違います。第一連では、そぞろ歩く彼女は「現在」の時間、彼の目の前に存在していたのですが、最終連ではそれが過去になっています。もう彼女はそこにはいません。すでに他の人の元に去り、目の前にはいない彼女の腕輪が、そのあてどない軽い足取りに連れてシャリンシャランと鳴る音を、いまだに彼は聞き続ける、という悲しい締めくくりです。

二連では流れた時が語られ、彼女が去ったことが語られます。ラブソングとしてはおなじみの設定で、たとえば「若葉のころ」などもこのパターンであり、特に珍しい内容ではないのはもちろんです。けれどもちょっと不思議な気がするのは、「自分が年をとってしまった結果、彼女は彼の手をすり抜けて成長を続け、自分を超えて行ってしまった」ようにとれることです。(まあ、これもありがちな設定なんですけれど)

けれどもオシー・バーンとビージーズの少し悲しい物語を思いながらこの歌を聞くとき、何かほろ苦い気持ちになります。不遇の時代を共にし、彼らの才能に強い信頼を寄せたオシーですが、ロンドンに渡り、彼がエンジニアとして、プロデューサーとしての限界を感じ始めたとき、ビージーズはさらに大きな世界へと羽ばたいていきました。まるでそんな彼らの軌跡が1966年夏に作られたこの美しい曲の中にすでに予見されるようです。

ビージーズにとってもこれは愛着のある曲のようで、70年代の来日公演で歌われていたときにはちょっとびっくりしました。

現在では「ティンバー」でも紹介した2枚組CDセット「Brilliant from Birth」に所収されていますが、ここではYouTubeから1971年のオーストラリア公演のライブ映像を「Morning of My Life (In the Morning)」とのセットでご紹介しておきます。英語の歌詞はこちらです。

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Words

ふたりはふたごで、生まれたその日からずっと一緒でした。

バリー・ギブ