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モーリス・ギブの想い出を胸に…

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想い出を胸に…(モーリス・ギブ、1967年)
想い出を胸に…

今年も1月12日がめぐってきました。その早すぎた死はいくら惜しんでも惜しみきれません。

これからしばらくモーリスの足跡をたどって、インタビューをいくつかご紹介していきたいと思います。

これはまだ17歳だったころの髭なしのモーリスです。いま見るとまだまだ初々しいながら、すでに業績を築いたミュージシャンとしての落ち着きと自信が感じられますね。

 「ビージーズの中で一番やさしい目をした男」とある記事がモーリスを表したことがありますが、そのやさしさと明るさ、ある意味で「ふつうの人」であり続けたこととスターであることの軋轢が、この心やさしい天才ミュージシャンの命を縮めてしまったのかもしれません。

インターネットの「ミュージック史に見る”今日”」コラムには2012年1月12日付けで、モーリスをしのび、ビージーズの業績をたたえて、次のような文章が掲載されました。以下にまとめてご紹介します。

 2003年1月12日の今日、ビージーズのメンバーであるシンガー・ソングライターのモーリス・ギブがフロリダ州マイアミの病院で手術中の心不全が原因で亡くなった。享年53歳。
       モーリスはその3日前に腹痛を訴えてマイアミのマウントサイナイ病院に入院。手術前に心臓発作を起こし、いったんは意識を回復したものの、快癒にはいたらなかった。

   21歳の若さでロールスロイス6台、アストンマーティン8台を所有するなど、いかにもロックミュージシャンらしいライフスタイルに目覚めたモーリスは、次第にアルコールへの依存を強めた。1969年から1973年のあいだ結婚していたスコットランド出身の歌手ルルとのポップスター・カップルぶりも知られている。

   モーリスとふたごの兄ロビンはイングランドの西に横たわるマン島ダグラスの生まれ。ギブ一家は1958年までマンチェスターに居住。その後移住したオーストラリアで、モーリスは、ロビンと長兄のバリーとともにビージーズを結成した。 

   ギブ兄弟がどれほどビッグだったかは、忘れられがちだ。60年代の彼らは清潔感のあるファミリーポップのグループとして知られ、1967年の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」を皮切りに、「マサチューセッツ」「獄中の手紙「ワーズ」などのヒットを連発。

   その後やや沈滞期があったものの、ジョン・トラボルタ主演の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラが、半年間にわたってチャートのトップを独走するなど大きな転換点となった。グラミー賞の「アルバム・オブ・ジ・イヤー」も獲得したこのアルバムによってビージーズはトップに帰り咲き、続く『失われた愛の世界(Spirits Having Flown)』もシングル、アルバム両面で大ヒット。

   40年を超えるキャリアの中でビージーズは2億2000万枚を超えるアルバム、シングルを売り上げ、モーリスは全英チャートのナンバーワン曲5曲に貢献している。

   グループ内でのモーリスの役割はハーモニーとバックボーカル。リードボーカルは兄ふたりに任せて、ミュージシャンとしてキーボード、ギターを演奏し、スタジオでは中心的存在だった。

   1994年にはソングライターとして、1997年にはロックンローラーとして、名誉の殿堂入りを果たしている。2002年には兄ふたりとともに大英勲章CBEに叙勲された。

   今日はビージーズの音楽を聴いてモーリスをしのぼう。 (訳注: 記事をスクロールダウンするとYouTubeの「愛はきらめきの中に(How Deep Is Your Love)」へのリンクが掲載されています)

 

 コメントはどびん本舗へお願いします。 

 

Words

ロビンは、いつもなるべくたくさんの曲をアルバムに入れたがった。僕は「過ぎたるは及ばざるがごとし」派かな。

バリー・ギブ(2016年)