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Home Next Generation 【2017年4月】サマンサ・ギブ・ロング・インタビュー(Roxborogh Reportより)-「伯父のバリーも喜んでくれました」

【2017年4月】サマンサ・ギブ・ロング・インタビュー(Roxborogh Reportより)-「伯父のバリーも喜んでくれました」

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サマンサ・ギブが初めて歌った曲だというビー・ジーズの「ザ・ロード」
(テレビスペシャル『キューカンバー・キャッスル』より)

ビー・ジーズ・ファミリーのネクスト・ジェネレーションによるトリビュート・アルバム『Please Don't Turn Out the Lights』について発起人のサマンサ・ギブが語ったインタビューをRoxborogh Report(2017年4月19日付)から、インタビュアーであるティムさんのご好意により翻訳掲載いたします。 

まずティム・ロクスボロによるアルバム・レビューー

ギブ・コレクティヴはビー・ジーズとアンディのトリビュート・アルバムだが、ちょっと変わっているのは、参加アーティストがすべてバリー、ロビン、モーリス、アンディの血縁者であるという点だ。モーリスの令嬢サマンサ・ギブが「ニューヨーク炭鉱の悲劇」のカバーをレコーディングしたことが発端となって、サマンサの兄アダム、いとこにあたるスティーブンとトラヴィス(バリーの息子たち)、ベリ・ギブ(ビー・ジーズ兄弟の姪にあたり、彼らの妹として育てられた)、スペンサーとRJ(ロビンの息子たち)、そしてピータ・ギブ(アンディの娘)が参加する10曲入りのアルバムができあがった。
サマンサの繊細な「ニューヨーク炭鉱の悲劇」の他、傑出しているのは、スペンサーのデニス・ウィルソン風「ドント・フォール・イン・ラヴ・ウィズ・ミー」だろう。1981年の「リヴィング・アイズ」に入っていた曲で、ビー・ジーズのオリジナルはぼく個人の「ヒット曲以外のギブ・ソング・トップ20」に入る傑作で、「Gonna be a lonely night/ nothing but a lonely night」という絶妙なサビとハーモニーを聞いたことがない人がいるのは、実にもったいない話だ。

それにスティーヴンの「オン・タイム」。もともとはモーリスのソロだが、バリーのミソロジー・ツアーではギブ家随一の渋い声の持ち主であるスティーヴンのレパートリーになっていた。今回はテンポをぐっと落として、ワイルドウエスト・バージョンともいうべき、じわじわくる傑作になっている。
アルバムが届いてから最初の数日間で、ぼくが繰り返し聴いているのは、サマンサとアダムのメランコリックなEDM風の「エンジェル・オブ・マーシー」(90年代のビー・ジーズのアルバムのボツ曲で、モーリス、サマンサ、アダムがレコーディングしたこともある)と、大勢が参加したタイトル・トラック(1972年の『To Whom It May Concern』所収)だ。また、「誰も見えない」のベリのボーカルは、不思議とブルース・スプリングスティーンの妻パティ・シャルファを思わせる。

このインタビューはメールを介して行われた。ギブ・コレクティヴについてだけでなく、サマンサがマイアミからオハイオに引っ越した理由、レアなビー・ジーズの曲ではどれが好きか、父親のモーリスをファンがどのぐらい理解していたと思うか、アンディの娘(ピータ)と連絡を取り合うようになってどうだったか、音楽以外に夢中になっているものは何か、バリーやロビンとサマンサの関係はどうだったか、ポップ・ミュージック界の王侯貴族ともいうべきバンドの娘として育つのはどんな体験だったか等、話題は多岐に及んだ。

ギブ・コレクティヴの最初のシングルは5月の初めに、アルバムは5月中旬に、それぞれ発売を予定されている。詳細については、GibbCollective.comFacebook.com/GibbCollectiveを参照していただきたい。すてきなインタビューをありがとう、サム! アイスランド公演も控えるサマンサ・ギブに幸あれと願う。

ティム

サマンサ・ギブ・インタビュー(by ティム・ロクスボロ―2017年4月)

ティム(以下TR): まず、今回のアルバムのタイトル・トラックについて聞かせてください。何よりも、ビー・ジーズのファンでさえ知らない人が多い、掌編ともいうべき1972年の名作を取り上げてくれてありがとうと言いたいです。ぼくにとっては、これはコード進行とハーモニーが素晴らしい、宗教の枠を離れたゴスペルの傑作です。この曲を選んだわけは?


サマンサ・ギブ(以下SG): いろいろと聞いていくうちに、たまたま行き当った曲なんです。1度聞いただけで、すっかりハマっちゃって。歌詞に込められた感情と曲のシンプルさが、きわだっていると思います。それから、あ、そうだ、このプロジェクトには長子4人が参加しているんだ、って気がついて、ひとりひとりにヴァ―スを歌ってもらって、ハーモニーは全員で担当することにしたんです。結果的に素晴らしい仕上がりになりました。


TR:アルバムのコラボレーション度はどのぐらい? スティーヴンやスペンサー、ピータ、ベリ、アダム、トラヴィス、RJのそれぞれが各自のトラックにどう取り組んでいるか、全部把握していたんですか?


SG: 一部のトラックにはわたしがハーモニーをつけました。RJも2曲ほどハーモニーを担当してくれています。ラザロと私が参加したトラックも2曲ほどあるけど、基本的には各自が自分のテイクを自分のスタイルでやりました。


TR:  ギブ兄弟によるバック・カタログは音楽史上もっとも膨大で変化に富むもののひとつですが、各自がカバーする曲はどうやって選んだのですか?


SG:  それぞれが自分と個人的に関わりが深い曲を選びました。だからどの曲からもあれだけの思いが感じられるのだと思います。


TR: あなたにとって個人的に、この特別なアルバムの中で、さらに特にこれは、という曲はありますか?


SG: 1曲だけ選ぶなんてとてもできません。でも「Please, Don’t Turn Out the Lights」は全員のハーモニーがあって、本当にすごいと思いました。


TR: ビー・ジーズのファンや一般の音楽ファンがあなたのお父さんのことをどのぐらいわかっていたと思いますか? いつもバリーとロビンをつないでいた存在とか、ピースメーカーとか、「マン・イン・ザ・ミドル」とか言われてきましたね。あなたにとって、それはどのぐらい真実なのでしょう?


SG: 確かに父は社交的な人でした。家族や友だちと過ごすのが好きで、一緒にいるととにかく楽しい人でした。自分は大切な人間なんだと相手に感じさせる人で、こちらの気持ちを本当に考えてくれる人だったんです。ああいう父を、友だちを、持てたわたしは、本当に幸運であったと思います。父は状況を多面的に理解する能力があったので、兄弟と仕事をしたり音楽作りをしたりするときに、仲介役として力を発揮できたのだと思います。


TR: 1997年の『スティル・ウォーターズ』で大カムバックを果たし、続いて『ワン・ナイト・オンリー』ツアーとライヴ・アルバムを発表して、90年代後半は批評面でも売り上げ面でもビー・ジーズにとって大きなカムバックの時代でした。ツアーをすれば巨大な屋外スタジアムを満員にしましたが、あの時代はあなた個人にとってはどんなものでしたか?


SG: とっても楽しかったです。家族と一緒に旅行して、すごい場所にいろいろと行きました。


TR: ご自分のお父さんや伯父さんたちが単に優れたソングライターという以上に、史上でも指折りの存在なのだと気がつきはじめたのは、幾つぐらいの時でしたか?


SG: 他の人の曲をカバーしたことがないばかりか、他の人のためにもたくさんヒット曲を書いたんだと気づいたのは、10歳ぐらいの時だったと思います。すごいなあと思いました。個人的にはかなり小さな時から、最高のソングライターだとは思っていたと思います。父たちの音楽を聴いていてそう感じたのです。


TR: ビー・ジーズのバック・カタログにどのぐらい詳しいですか? 知られざる名曲を発見したりすることが、いまだにありますか? ファンとしてのぼくにとっての歓びのひとつは、知られざる名曲がザクザクあって、そのどれもがとびきり素晴らしいという点なのですが。「Come Home Johnny Bride」「Railroad」「Blue Island」「Living Together」「Don’t Fall In Love With Me」「I Love You Too Much」「Ghost Train」「My Eternal Love」「Shape Of Things To Come」「Bury Me Down By The River」等々です。


SG: もちろん! たくさんありますよね。個人的なお気に入りを少し挙げると、「Wildflower」「Kilburn Towers」「Lay It On Me」「Trafalger」等です。知らない人も多くて、あまり話題にならない曲ばかりですけど。まだまだたくさん好きな曲があります。


TR: ぼくはビー・ジーズをバカにする人がいると、ついムキになってしまいます。ビー・ジーズについてそういう人たちが持っている誤解を解くことが自分の”任務”みたいに思っています。これまで、ビー・ジーズといえばディスコというような人たちについてどう思ってきましたか?


SG: 本当の音楽ファンや自分もソングライターであるというような人たち、それにファンの人たちも、ビー・ジーズがディスコ以外でも素晴らしかったということを知っていると思います。


TR: 同時に、『Saturday Night Fever』のサウンドトラックはかつて制作されたもっとも完成度の高いポップ・ミュージックに数えられると思います。バート・バカラック、ジョージ・ベンソン、デイヴ・グロール等、さまざまな人たちがあれこそ最高の音楽だと称えてきました。あのサウンドトラックが、今日でさえ、これほど共感を呼ぶのはなぜだと思いますか?


SG: あのアルバムが持つエネルギーが時代にぴったり適合したのだと思います。それから個人的に思うんですけど、どの曲にもストーリーがありますよね。映画というヴィジュアルを得て、さらに共感を呼んだのは間違いないでしょうね。


TR: いま現在、ソングライティングとパフォーミングはあなたの人生にどのぐらい大きな場所を占めていますか?


SG:  いつも新しい曲を書きたい、作りたいと思っています。この1年はこのトリビュート・アルバムの作業で忙しかったので、今度は作曲やプロデュースの時間をもっと持てるようになるのが楽しみです。自分ではパフォーマーである以上にライターであると思っていますが、機会があれば演奏するのも好きです。この1年、チャリティ・イベントで演奏する機会が何度かありました。バンドのメンバーもわたしも、今年アイスランドのサマー・ソルスティス・フェスティバルに出演するのでドキドキです!バンドの曲以外に今回のトリビュート・アルバムからの曲も演奏する予定です。


R: マイアミからオハイオに引っ越したのは何故?


SG: ゆったりと暮らせて、夫と一緒に子育てするのに良い場所だと思ったからです。自分の土地を持ってとてもシンプルな暮らしをしています。もっと動物も増やしたいんです。根は農場人間なので、ぴったりなんです。


R: 音楽史上屈指の有名度を誇るグループの子どもとして育つという体験は、大変でしたか?


SG: いい時も悪い時もありました。時にはとっても楽しくて、わくわくする経験なのですが、悪い面もつきまといますからね。父が、自分と家族のために、ごく普通の暮らしが送れるようにと心を砕いてくれたことには、とても感謝しています。そのおかげで、家族として安定していて、心が通じあっていました。


TR: お父さんはペイントボールのチャンピオンでもありました。音楽以外、母親として以外の、あなたの趣味や好きなことを教えてください。


SG: 動物が好きで、人と仕事をするのが好きです。写真や動画の撮影にはずっと興味を持ってきました。数年前に『A Nashville State of Mind』という音楽ドキュメンタリーを撮影して、各地の映画祭でかなり好評でした。実はLA/NY国際映画祭では最優秀国際音楽ドキュメンタリー賞を受賞しました。オットとわたしは将来もう1本ドキュメンタリーを作りたいと思っています。それからいずれもっと時間ができたら、このオハイオでレストランを開きたいんです。


R: 2013年にニュージーランドのバックステージでキャロル・キングと会って大喜びしてましたよね。有名人と出会った中で、いまだに印象に残っているのは? マイケル・ジャクソンとか、ポール・マッカートニーとかですか


SG: キャロル・キングとの出会いについては面白い話があるんです。夫のポールがわたしがリハーサル中に彼女に会えたんです。だけどリハーサルが終わってもわたしは緊張しちゃって、行って彼女に話しかける気になれなくて…。ようやく勇気を奮い起こした時には、もう彼女は帰りかけていたんです。かなりヘコみましたけど、まあ少なくともわたしたちのひとりだけでも彼女に会えたわけですから…。いつも誰か業界の人に会うと、ファンっぽくしないで、普通にふるまうようにしてきました。もっともキャロル・キングのときはとっても無理でしたけど(笑)。


TR: ビー・ジーズのサウンド、成功、レガシー、さらにはスタイルに対してあなたのお父さんが一番貢献したのはどんな点だと思いますか? ぼくは、彼がグループの中で一番”ロックンロール”してたと思うんです。60年代にベースを弾いているところはほんとにかっこよかったし、70年代にはロビンを真ん中にバリーと左右に立ってヴィジュアル的にすごく素敵だったし、80年代、90年代には帽子をかぶったあのスタイルがアイコニックでした。すごくスタイリッシュな人でしたね。


SG: いつも父は素敵だなあと思っていました。いろんな楽器が弾けたので、その点でグループのサウンドに大きく貢献したと思います。スタジオでの作業やプロデュースが大好きでしたが、ステージでふざけたり、踊ったりするのも好きでした。父が何か面白いことをして観客が笑うとすごく嬉しかったです。人を笑顔にするのが好きな人だったんです。それに帽子姿がとってもキマってました:)


TR: バリーのミソロジー・ツアーに参加できてうれしかったですか? バリーからツアーに参加してくれという話が出た時のことは覚えていますか?


SG: 覚えてます。びっくり仰天でした。信じられないような話で。それにすごい経験だったんです。父が近くにいるような気がして、父と心がつながっていると感じました。伯父(バリー)にとってもわたしにとっても、悲しみを癒す経験になったとも思います。


TR: ツアー中の体験で、特に記憶に残っている瞬間はありますか?


SG: ニュージーランドのコンサートは素晴らしかったです。あの場所、あのエネルギー。わたしは屋外のコンサート会場が好きなので、あの時の体験が特に心に残りました。それからハリウッド・ボウルも素晴らしかったです。1週間ほど前に緊急手術を受けたばかりで、無理かなと思っていたのに、舞台に立てて…。ほんと、ツアーで訪れた場所のひとつひとつが素晴らしくて、それぞれに思い出があります。


TR: バリーとはずっとどんな関係でしたか?


SG: 一緒にツアーをして、話すようにもなって、ぐっと親しくなりました。実は今回のGibb Collectiveのプロジェクトについても昨日話したばかりなんです。みんなが力を合わせてやったということを誇りに、名誉に思う、と言ってもらえて、とても嬉しかったです。


TR: ロビンとあなたの関係は?


SG: 子どものころから、いつもわたしのことを笑わせるんです。伯父たちは、みんなそうでした。特に三人そろうとおかしくって。伯父のロビンとは父が亡くなったあと距離が縮まりました。


TR: アンディのお嬢さんピータとは今回のプロジェクトを通してとても気持ちが通じたようですね。どんな感じなんでしょう?


SG: 素晴らしいの! わたしたち、そっくりなんです。子どもの時の写真とか見ると、ほんとに似てるんです。いろいろな話をし合って、気心が通じて、ほんとに素敵で、心が癒されました。


TR: 後期のビー・ジーズのアルバム(「ESP」「One」「High Civilization」「Size Isn’t Everything」「Still Waters」、それに「This Is Where I Came In」) は隠れた名曲でいっぱいです。この時期の作品やアルバムで特に好きなものはありますか?


SG:  「Heart Like Mine」「Secret Love」「Closer than Close」「This is Where I Came In」などが特に好きです。


TR: もしGibb Collectiveのアルバム第二弾があるんなら、こんな曲をやってはどうだろう、というのがあるんですが、言ってもいいでしょうか? それじゃ、行きます。オルタナティヴ・カントリーで「Sweetheart」「Bury Me Down By The River」「Then You Left Me」をやってほしいなあ。どれも『キューカンバー・キャッスル』からの曲です。まだまだたくさんありますが、あれはビー・ジーズのカタログ中でもっとも過小評価されているアルバムだと思っています。まあ、すごいおフザけ映画との関連で過小評価されてしまっているのでしょうが、ぼくはあのアルバムをザ・バンドが出さずに終わった幻の最高傑作だと思っています。アルバム『キューカンバー・キャッスル』や今挙げたような曲については、いかがですか?

SG: わたしが最初に歌ったのを覚えている曲が「ザ・ロード」なんです。あの歌い方が大好きで。それから「I.O.I.O」と「想い出を胸に」も大好きです。どうなるでしょうね。わたしたちみんな、もう一度一緒にやりたいと思ってはいるんです。

とてもハイレベルで個性的な共演になったGibb Collectiveの第一弾。第二弾もあるのかな? 「パフォーマーである前にソングライター」というのは第一世代(ビー・ジーズ)がよく言っていたことでもありました。映画作りも第一世代の夢でもありましたから、今回のプロジェクトが成功して、さらに道が開けていくと良いですね。

トップにはサマンサが最初に歌ったというバリー&モーリスの軽やかでユーモラス(&皮肉)な「ザ・ロード」のYouTubeリンクを貼ってみました。インタビュー中で話題になっている映画は、こちらのリンクで見ることができます。

(Thanks: Tim Roxborogh)

{Bee Gees Days}

 

 

Words

母のことを一番心配しています。兄弟を亡くすのと子どもを亡くすのではわけが違う。

バリー・ギブ